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友人はフォトグラファー

2019.11.06

愛着のある思い出の舞台は、だいたいいつも吉祥寺だった

出会って20年来の友人がいる。
名は村松。

村松くんとは、共に通っていた文化服装学院で出会った。
村松くんが18歳、僕が19歳の頃だ。

当時の僕はど派手なドレッドヘアで、いつもボロボロの古着コーデ。
ズッカやギャルソン、サンローランを着こなす爽やかボーイの村松くんから見ると、僕に対する第一印象は最悪だったようで「絶対コイツとは気が合わない」と感じたそうだ。失礼しちゃう。
それでも人の縁とは不思議なもので、僕と村松くんはいつの間にか仲良くなり、気の合う友人となったのだ。

卒業後も村松くんに会う機会は多く、吉祥寺のファーストキッチンに集合したり、雪の日にママチャリで井の頭公園へ出掛けたり。
悲観的な未来を冗談話でふさぎ込んで、僕らはいつも笑ってたような気がする。

ある日、アルバイト探しに行こうぜと吉祥寺に集合。
繁華街を散策中、とあるラブホテルの前で「スタッフ募集」の張り紙を見つけた。
ちょうどホテルから出てきた作業着姿のおばちゃんと出くわしたから、シーツ替えのアルバイトさせてほしいと声を掛けたところ、「ちゃんと仕事探しなさい」と門前払いされた。

ロクでもないけど愛着のある思い出の舞台は、だいたいいつも吉祥寺だった。

20年来の友人と20年分の歳を重ねる

今、村松くんはフォトグラファーとして活躍中だ。
活動ではなく「活躍」と書くのは友としてのサービスだ。なんての冗談で、事実、村松くんは着実に活躍の場を広げていて、今はメキシコで撮影のお仕事真っ只中の様子。立派になったものだ。

僕はと言えば、うだつが上がらない日々を経て、遅咲きWEBデザイナーになった。夫にもなったし、父にもなった。
立派かどうか自信はないけど、あの頃を懐かしく思い出すくらいには歳を重ね大人になった。

母の緊急入院

2017年4月の終わり頃、母が緊急入院したとの知らせが届いた。
まもなくして、僕は帰郷した。

会社のボスや同僚、当時進行していた仕事関係のクライアントや外部パートナーにしばらく休業することを報告。それとは別に、唯一帰郷を知らせたのが村松くんだった。
母のことを伝えた時、電話の向こうで村松くんが「で、いつ向こうに帰るの?」と僕に尋ねた。
そして、「出発前に少し時間作れないかな、言付けたいものがあるのよ。」と続けた。

帰郷の日、東京駅に向かう途中に中目黒駅で途中下車した。
中目黒駅の改札近くに村松くんはいた。

「すっかり遅くなってすまないよ。」
村松くんはいつもの口調でそう言って、黒いファイルを差し出した。

受け渡されたファイルには、懐かしい写真が収められていた。
それは、2009年に妻の故郷で執り行われた僕と妻の結婚式の写真だった。

妻の故郷にある歴史の深い神社で挙げた結婚式に、村松くんはカメラを担いで単身やってきたのだ。

見覚えのない2枚の写真

村松くんが撮影した写真には、頼りない新郎と綺麗な和装姿の新婦、そして両家の親族が写されていた。
大きくなった姪っ子が幼い顔で写っている、今はあまり家から出られなくなった祖母の元気な姿がある、急病で亡くなった妻の親族もいる。
結婚式後、データとしてその写真を受け取っていたものの、改めて現像された写真を見ると思わずこみ上げるものがあった。

ん?
最後のページで手が止まる。見覚えのない2枚の写真が納められていた。

1枚は、ベンチに並んで座る母と僕。
もう1枚は、歩く母と振り返る僕の後ろ姿。
2枚の写真を見ているうちに、少しずつ当時の記憶が蘇ってきた。

挙式の前日、昔から山登りが好きだった母のリクエストで羽黒山に出掛け、山頂にある出羽三山神社へと続く石段を、母と僕、そして村松くんの3人で登った。
2446段の石段を囲むように大きな杉の木々が生い茂る。僕たちは漂う神聖な雰囲気を味わいながら、一歩一歩ゆっくりゆっくり山頂へと足を進めた。大きな国宝の五重塔の前を通り、二の坂と呼ばれる急勾配の上り坂の先にある茶屋で一休み。

翌日挙式を迎える僕とその母と、その友人が山を登る。
不思議な体験だったし楽しかった、本当に。

遠ざかっていた大切な思い出との再会が嬉しかった。急な帰郷に間に合うように写真を用意してくれた気遣いに対しても。
改めてお礼を伝えると、村松くんはこう答えた。

「こういうものなんだと思うよ、写真っていうのは。」

思い出の写真、母への報告

僕が病室に辿り着いた時、母は静かに眠っていた。
故郷の駅から病院までの車中で、父は母の容体について教えてくれた。夜中に痙攣を起こしたこと、救急車で搬送されたこと、それはがんの転移によるものかもしれないこと。

僕は母のベッドの横にあるパイプ椅子に腰掛け、母の寝顔を見つめた。
しばらくすると母の目が開いた。
僕に気付き「わたるか」と小さな声で言った。「ただいま」と僕は返した。
その日からおよそ1週間、母が退院する日までの間、僕は毎日母の病室を訪ねた。

「懐かしいなぁ」
村松くんから言付かった写真を眺めながら母が呟いた。
「覚えとる?」と尋ねる僕に、母は「覚えとるよ」と静かに答えた。
写真の入ったファイルは病室に置くことにした。訪れる見舞客と一緒に、母は何度もその写真を眺めていたそうだ。

5月の下旬、僕は再び帰郷した。

その少し前に村松くんに会う機会があった。仕事として、村松くんに撮影の依頼をするために。
その仕事は、アイウェアブランド「BJ CLASSIC COLLECTION」のブランドビジュアルの撮影。依頼の理由は、「普遍的な本物志向の眼鏡」をテーマとするブランドコンセプトと村松くんの写真の相性の良さを感じたから。

母にそのことを伝えると、「よかったなぁ」とベッドの上で横になったままニコッと笑った。
そして、「あの時のカメラくんかぁ」ともう一度小さく笑った。

母は笑顔の余韻を残したまま目を閉じ、眠りについた。
母の寝息を聞きながら、僕は部屋に置いていた黒いファイルを広げ、ページをめくる。
きっともう、そう長くはない母との日々を胸に刻むように、ゆっくりゆっくりページをめくる。

Web Designer

おおつか わたる

1980年 岡山県笠岡市生まれ。文化服装学院スタイリスト科卒業。 2013年の立ち上げより「Graphika inc.」に所属するかたわら、フリーのWEBデザイナーとして活動中。

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