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「虹の岬の喫茶店」と「街の外れの古着屋」

2019.11.27

ゲームで遊ぶ子ども達の輪の近くを陣取って読書

休日になると、我が家に子ども達が集まってくる。
天気のいい日もそうじゃない日も、我が子とその友達がニンテンドースイッチで遊んでいる。

大きな柿の木に登ったり、裏山に秘密基地を作って遊んだ田舎育ちの僕には、ゲームだけの休日が物足りないように感じてしまうけど、ゲームの世界に没頭する子ども達の姿もなんだか真剣でけっこう楽しそうで、これはこれでいい休日の過ごし方かもしれないなぁとも思う。

だいたいの場合、僕はゲームで遊ぶ子ども達の輪の近くを陣取って読書をする。子ども達の遊び場に大人の僕がおじゃまさせてもらうような感じになる。
ときどき子ども達のゲーム機を覗き込んで、好き勝手ちゃちゃを入れるのも忘れない。
「ゲーム機」という言葉のチョイスも含め、僕は鬱陶しい大人なのだ。

じんわり心に染みる愛おしい物語、「虹の岬の喫茶店」

とにかく、そんな環境で読み進めたのが森沢明夫さんの「虹の岬の喫茶店」。

店主の悦子さんがひとりで切り盛りする、岬の先端に建つ喫茶店が舞台のお話。
大切な人を失ったり、生きる希望を無くしたり、心に傷を抱えた人達を、悦子さんは美味しいコーヒーと素敵な音楽で迎えてくれる。悦子さんの眼差しは優しく、言葉は温かい。一期一会の出会いによって人生にほのかに明るい光が宿り、小さな一歩を踏み出す勇気が生まれる。

少しばかり切なくて、じんわり心に染みる愛おしい物語だ。

僕もいつかこの喫茶店に辿り着きたい、悦子さんのコーヒーを味わってみたい。そして、静かに虹を眺めてみたい。なんて、いつの間にか登場人物の人生に自身の生き様を重ね合わせ、思わず物語の情景に自身の姿を合成してしまう。

これから先、きっと何度も読み返すことになる。
そんな本に出合えた。

高校生だった頃の行きつけのお店は「街の外れの古着屋」だった

残念ながら、僕には行きつけの喫茶店が無い。
でも、ずっと昔、行きつけのお店ならあった。

「虹の岬の喫茶店」と同じように表現するならば、そのお店は「街の外れの古着屋」。
僕がまだ高校生だった頃、もう20年も前の話だ。

故郷の駅から西に3駅行くと福山駅に到着する。福山は、僕にとって10代後半の青春の街。仲のいい友達と一緒に何回福山に出掛けたことだろう。

当時の福山は駅を中心に栄えていた。CASPAやVIVREといったショッピングセンターが人気で、街は年代問わず多くの人で活気を帯びていた。
CASPAのB1Fにあった古着屋「3匹の子ねこ」、CASPAの程近くにあった「vis a vis +1」をはじめ、いくつかの服屋や古着屋を巡る。その道中には、「ジョー・ケイスリー・ヘイフォード」や「クリストフ・ルメール」などを扱うセレクトショップや「COMME des GARCONS」の福山店もあったけど、当時の僕らにはちょっと敷居が高く感じた。

街には流行りのJポップソングが流れていた。
SPEEDやGLAYのようなチャートを賑わす人気の曲はもちろん、福山という土地柄なのかMISIAやSugar Soul、DOUBLEなどの女性R&Bボーカルの曲を好むショップもあった。

携帯電話はもちろん、ポケベルも持っていなかった高校生の僕は、絶対的に今より視野が狭く小さな世界しか知らなかった。その分、過ごした青春は実体験に直結した純粋なもので、自分に対しても他人に対しても、目を向けるのにも背を向けるのにも素直になれたような気がする。

話を戻そう。

ちょっと年の離れた気の合う友達

「虹の岬の喫茶店」では訪れる人を優しい悦子さんが迎えてくれるけど、「街の外れの古着屋」で僕らを迎えてくれたのは、20代中頃のおもろいおねえさんだった。

駅から15分程歩いた商店街の片隅にあった古着屋「Flappers(フラッパーズ)」は、海外まで買い付けに行くような本格的な古着屋ではなく、委託商品を中心に取り扱う小さなお店だった。

フラッパーズのおねえさんは、PUFFYのようなボリュームのあるパーマ頭に、だいたい大きめのトップスに細身のパンツ姿で、いつも店の奥でひとり椅子に腰掛けて店番をしていた。
お店の商品は少なく、ものの数分でショッピングは終わってしまう。
けど、いつの間にか始まるおねえさんとの会話が楽しくて、僕らは1時間も2時間も店内に居座ってしまうのだ。

おねえさんは毒舌で、いつも僕らを優しくからかった。
当時交わした会話のほとんどはどうでもいい冗談を言い合っていただけのような気もするし、店の主人とその客というよりは、ちょっと年の離れた気の合う友達のような感じだった。

20年前にフラッパーズで購入した「Vivienne Westwood」のブルゾン(¥30,000)、袖を通す機会は無いけど今でも大切に保管してる。

おねえさんからのお願いごと

高校3年生の冬が近づいていた。
周りの同級生はみな受験勉強のラストスパート、僕はすでに文化服装学院への進学が決まっていた。
おのずと、ひとりでフラッパーズを訪ねる機会が多くなった。

その頃、おねえさんの勧めもあって、フラッパーズに僕の描いた絵を置かせてもらっていた。
色画用紙や色を塗った木製ボードにアクリルで描く、上手いとか下手とかの土俵から逃げ出したような絵だった。
当初はちょっとしたお小遣い稼ぎになればいいかなと思って始めた活動だったけど、僕の絵だって馴染みのお店の立派な一商品だというささやかな誇りも感じていた。
一点1000〜1500円、売れた分から委託料として20%差し引いたギャラを受け取っていた。

ある日のこと、おねえさんから思いもよらないお願いごとをされた。
おねえさんの友人の美容師さんが僕の絵を気に入ってくれたようで、「and COLLINE」という美容室のために絵を描いてほしい、という内容だった。

突然の展開に腰が引ける思いもあったけど、リクエストに合わせた絵を4枚描くことにした。
4枚の絵をおねえさんに預けると、引き換えに茶色の封筒を差し出してきた。封筒には、一万円札が1枚入っていた。
こんなに貰えないと首を振る僕に、「絶対渡してと頼まれてるから」とおねえさんは言った。

子どもながらせめてものお礼と思い、僕はお店で販売していたおねえさんお手製の毛糸で編んだカラフルなヘアバンドを2つ購入した。
「まいどあり~」おねえさんはおどけた口調でレジを打った。

フラッパーズの閉店、実感する故郷との離別

1999年、新年を迎えてまもなく、おねえさんは店をたたんだ。
最後に店を訪ねた時、「東京でがんばっておいで!」とおねえさんはいつものように明るい声で手を振って見送ってくれた。
僕の大好きだったフラッパーズは無くなり、おねえさんに会うこともなくなった。

高校を卒業する日が近づいていた。
上京の日が近づいていた。

3月1日の卒業式を間近に控えた高校生活の終わり頃、僕はひとり福山に出掛けた。
フラッパーズがあった場所を訪れると、すっかり空っぽになった店舗のドアに「テナント募集」と書かれた紙が貼ってあった。しばらくその場に立ち尽くした後、空っぽの店舗に向かってなんとなく小さく頭を下げ、僕は商店街を抜けて福山駅に向かった。

故郷の駅に着いた後、駅前のコンビニ「ハートイン」に立ち寄った。
何冊かのファッション雑誌を立ち読みし、最後に何気なく地域情報誌「備後ウィンク」を手に取り表紙をめくる。

「あ…」

思わず声が漏れ、手が止まる。
表紙をめくったすぐのページに、あの日おねえさんに預けた僕の絵が大きく掲載されていた。

自分の描いた絵が掲載されている喜び、その感情と競うように湧き出る大きな喪失感。
フラッパーズの閉店、おねえさんとの別れ…、ひょっとしたらそれ以上に実感したのは、故郷との離別なのかもしれない。

2019年11月が終わろうとしている。

夕方、陽が沈むのが早くなった。
さっきまでゲームに夢中になっていた子ども達が帰り支度を始めている。
僕は読書中の本を閉じ、我が子と一緒に玄関へと向かう。

「また遊びにおいで」

そう声を掛けながら子ども達の後ろ姿を見送る僕の視点は、フラッパーズ最後の日のおねえさんと同じようなものなのかもしれない。

虹の岬の喫茶店(amazon)

Web Designer

おおつか わたる

1980年 岡山県笠岡市生まれ。文化服装学院スタイリスト科卒業。 2013年の立ち上げより「Graphika inc.」に所属するかたわら、フリーのWEBデザイナーとして活動中。

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