
2025年、夏になった。
今朝干したばかりのバスタオルが、昼食前にはもう乾いていた。
夏本番の猛暑に室外機の熱風が加わって、ベランダがまるで巨大な乾燥機のようだ。
2019年11月の投稿を最後にJOURNALを更新しないまま6年近く経っていた。僕はきっちり年齢を重ねて、当時小学生だった我が子は高校生になった。
カレンダーは年によって買いそびれることもあるけれど、時計の針はちゃんと進んでいるみたい。早いものだ。
その間、少しの浮き沈みがありながらも、おかげさまで仕事は続いていて、家庭も極めて平穏。いろいろと身に余る恵み、ありがたいことだなぁと思う日があったり、感謝を忘れる日もあったり。
とにかく、僕は元気に暮らしている。
デジタルカメラを買った。
気兼ねないものがいいと、FUJIFILM X30を選んだ。
2023年の春、カメラを買った。
それまでは、おもちゃみたいなフィルムカメラを使っていた。
MINOLTA Capios25。
操作はシンプル、ズーム機能も一応付いている。ぽってり厚みがあるから、ポケットに入れるってよりストラップを手首に通して、気が向いた時にシャッターを押す感じがちょうどよかった。
ある日を境に、写真の同じ場所に、ぼやけた光が映り込むようになった。
最初のうちは「ま、いっか」と気にしないようにしていたのだけど、やがてちょっとずつ、写真を撮る気が萎えていくのがわかった。
それに、フィルムの値段が高くなった。
そのうち、現像をお願いしていた写真屋さんが閉店してしまった。
そういう小さな出来事がいくつか重なったこともあり、代わりとなるデジタルカメラを探すことにした。
でも、僕はそもそもカメラに疎い。
そこで、友人フォトグラファー村松くんに相談することにした。
「コンデジで、気兼ねないものがいい。」
極めて主観的で曖昧な希望だったけど、村松くんは何となく僕の好みや使い方を察してくれたようで、いくつか候補を挙げてくれた。
その中から、ちょうど中古で売りに出ていたFUJIFILM X30を選んだ。
亡き母譲りのせっかちな性分、カメラの起動に掛かるちょっとの時間に実は小さなストレスを感じることがあった。
FUJIFILM X30は、レンズ鏡筒の根元にあるズームリングを回すと電源が入る仕様だから、まったくストレスを感じない。コンデジとしてはやや大きめのボディで持ちやすく、しっくりくる。ファインダーもいい、機能もそれなりに充実している。
少し痛んでいた付属品の代わりに、YOSEMITEのストラップを付けることにした。
休みの日はもちろん、仕事に出掛ける時も、だいたいいつも持ち歩くようになった。
結局、一度もシャッターを切らずに帰ってくる日も多い。けど、それでいい。
「いつでも撮っちゃうんだから!」
そう思える分、今日という日に向き合っているってことだから。
僕は単純なのだ。
こういうところもまた、大らかだった母の性格に、どこか似ているのかもしれないなぁ。
母の七回忌、時の移ろいがもたらす優しさ。
2023年6月、故郷で母の七回忌が執り行われた。
祭壇に飾られた母の遺影は、たしか友人たちと山に登ったときの写真だったかな。
遺影として使用するために背景が切り取られてしまっているけど、いい笑顔だ。
人当たりが柔らかいと親戚の間で評判の住職があげるお経と御詠歌に耳を傾けながら、母を偲び、思いを馳せる。
いつまでも消えないだろうと思っていた悲しみの輪郭が、だんだんぼやけてきた気がする。
それだけじゃない。思い出も、生前の姿や声さえも、僕の中からゆっくりゆっくり遠ざかっているような感覚がある。
こうして少しずつ手放していくことを、時の移ろいがもたらす優しさだと受け止めている。
薄れゆくだろう記憶の、せめて欠片だけでも残せたような気がした。
法要終わりの午後、当時手に入れてまもないFUJIFILM X30を斜めにかけ、借り物の自転車で故郷を巡った。
梅雨の最中が嘘みたいに晴れ渡った青空、ほんの少しのそよ風。
小学校までの細い通学路、夏の祭りでにぎわった神社、友達と遊んだクローバーが茂る空き地、店主がいなくなり荒れた自転車屋。
懐かしさに胸が熱くなる、なんてことはない。
でも、たしかに僕はここで育ち、故郷に育てられた。母のいない故郷には父がいて、僕の成長を見守ってくれた親族がいる。
自転車を止め、汗ばんだおでこをぬぐう。
買いたてのカメラのモニターに映る故郷の風景はちょっぴり余所余所しく見えたけど、これからますます薄れゆくだろう記憶の、せめて欠片だけでも残せたような気がした。
あの日から2年と少し経ち、今、僕は故郷から遠く離れた街を歩いている。
すっかり手に馴染んだカメラを斜めにかけ、目の前の景色に霞んで浮かぶ、“故郷のまぼろし”を探しながら。