折り紙製の箱のようなもの(お手紙付き)

思い出の誕生日

2019.06.14

39歳になりました。

先日、39歳の誕生日を迎えた。
妻と我が子から「おめでとう」と祝ってもらい、妻はコンバースのスニーカーを、我が子は折り紙製の箱のようなもの(メッセージ付き)をプレゼントしてくれた。嬉しかった。
誕生日はいくつになっても嬉しいものなんだなぁと改めて感じた。

 

故郷で迎えた2年前の誕生日。

2年前の誕生日、僕は故郷にいた。
長年がんと闘った後余命わずかと宣告された母の側で誕生日を迎えた。

2年前の4月後半に母は余命を告げられた。
「桜が咲く頃までは…」と。
その翌日容体が悪化し緊急入院、1週間後に自宅に戻り療養することになった。医師に治療を止めることを伝えられた母は、余生を自宅で過ごしたいと答えたそうだ。
6月中旬に息を引き取るまで、母は自宅で生き抜いた。その間、父、兄、親族…僕たちは母の希望を尊重し、1日1日を大切に過ごした。

僕は18歳で上京して以来、故郷を離れて暮らしている。
母の容体悪化の知らせを受けた僕は、少し早めのゴールデンウィーク休暇をもらい帰郷した。母のいる病院に1週間毎日通い、母の退院を見届けた日に故郷を離れた。
5月の終わり頃に再び休暇をもらい故郷に向かった。当時、3つのお仕事が進行中だったけど、クライアントは僕のわがままを了承してくれた。今でも感謝の気持ちでいっぱいだ。

その頃の母は日中眠っている時間が多くなっていた。
ときどき母の眠る部屋の隅っこでパソコンを広げて仕事をした。窓から入る風が心地よく、母の鼻に繋がる酸素吸入の音が断続的に聞こえていた。
朝ごはんの準備をした。洗濯物を干した。庭で摘んだ花を花瓶に生けてみた。訪問看護師さんの手伝いをした。母の側で過ごせる時間が後どれだけ残されているのかは考えないようにした。
でも、覚悟はしていた。

5月29日、僕は37歳の誕生日を迎えた。
その日の夕方、誕生日が4日違いの兄と僕の合同誕生日会が開かれた。
父、兄家族、親戚、そして僕。母のベッドを囲んでみんな笑っていた。母も笑顔だった。
伯母が「せっかくじゃけぇ」とその場にいた訪問看護師さんにもケーキが乗ったお皿を渡した。母が以前からお世話になっているその看護師さんはケーキを喜んで受け取ってくれ、「せっかくじゃけぇ」と母のベッドをみんなで囲んだ記念写真を撮影してくれた。
「よかったですねぇ」と看護師さんは母に話しかけていた。

後日、看護師さんが撮影してくれた写真が届いた。
ちょっとブレてはいたけど、写真にはみんなの笑顔がしっかり残されていた。写真の真ん中には、ピースサインをした母の姿があった。
 

来年の誕生日を楽しみに生きる。

兄と一緒に母へ「ありがとう」を伝えられた2年前の誕生日は一生の思い出だ。その思い出と再会できる来年の誕生日を楽しみに、僕なりに懸命に生きていこうと思う。
妻と我が子と過ごした39回目の誕生日の思い出をかけがえのない思い出として振り返る日も、きっといつかやって来るだろう。

そういえば、我が子からプレゼントされた折り紙製の箱のようなものにこんなメッセージが書かれていた。

パパ おたんじょう日おめでとう
勉強を教えてくれてありがとう
これからも元気でいてね(^O^)

元気でいたいと思います。

Web Designer

おおつか わたる

1980年 岡山県笠岡市生まれ。文化服装学院スタイリスト科卒業。 2013年の立ち上げより「Graphika inc.」に所属するかたわら、フリーのWEBデザイナーとして活動中。

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